断章

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哲学における哲学者の問題

哲学においてある主張が誰のものであるかということは常に問題となる。例えば、次の文章を読んでみてほしい: 生成は、共にありえないものの共生の緊張を弛緩せしめることによって、ありえない共存を可能にする。生成は、したがって、悲劇的なものと共に生き…

復活と捏造

諸君もご覧になったであろうあの一大熱狂をいま一度思い返していただきたい。人が人を巻き込み次第に大きくなっていった追従者たちは、あの夜考えうる限りの絶望と放心を味わった(あれを見てこのように感じない者は現代に相応しい愚鈍者である)。彼女は友…

赦しの神

『イエスの父はいつ死んだか』佐藤研 p136-137 ・・・・・・人間はどういうところで、そういう無条件の神のゆるしと出会うかというと、今挙げたイエスのたとえ物語の全部がそうですが、実存的な自立性が崩壊する、そこで出会っています。放蕩息子の下の弟にしろ、…

生への意志と生の条件

(1.1) 人生の意義は存在しない。これは自明な原則である。 (1.2) (1.1)の原則から、明らかに生への意志はそれ自身を目的としている。この点において、生への意志はただそれのみによって真に価値があり崇高で尊厳あるものである。なぜなら、それ自体を目的と…

あれかこれか 2

輪作 さて、すべての人間は退屈である。この言葉自体が一つの分類の可能性を示唆する。退屈という言葉は他人を退屈させる人間をも、みずから退屈する人間をも言い現すことができる。他人を退屈させる人々は庶民、群衆であり、一般に無限の人間集団である。み…

われわれの教養施設の将来について

われわれの教養施設の将来について[1872、邦訳昭和26年] より一部抜粋(一部を新字体に挿し変えている) ・第三の公演 ・・・・・・こうしてギムナジウムは今でもまだ博識の栽培地かもしれないが、それはいわば最も高貴な目標を志す教養の自然でたくまぬ副作用にす…

ショーペンハウアーのユダヤ教批判

『世界の苦悩に関する教説によせる補遺』(岩波文庫「自殺について」斎藤信治訳 に収録)より 梵天(ブーラフマー)は一種の堕罪乃至堕落によって世界を生み出した。そのためのそれを償うために彼は自ら世界のなかにとどまり、世界からおのが救済の日を待っ…

独房

この部屋は独房である。ただここに於いてのみ私の自由・私の創造性・私の奔放さは表現されうる。定期に、あるいはまた不定期に、エートスという名の看守が私の独房にやってきて、目隠しを付けてどこかほかの場所でしかじかの作業をさせる。従わない場合には…

あれかこれか 1

Διαψαλματα ぼくはぜんぜんなにもしたくない。ぼくは馬に乗りたくない――これは激しすぎる運動である。ぼくは歩きたくない――これは骨がおれすぎる。ぼくは身を横たえたくない。なぜなら、ぼくは横たわったままでいるか――これはいやだ――、それともふたたびおき…