断章

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生への意志と生の条件

(1.1) 人生の意義は存在しない。これは自明な原則である。

(1.2) (1.1)の原則から、明らかに生への意志はそれ自身を目的としている。この点において、生への意志はただそれのみによって真に価値があり崇高で尊厳あるものである。なぜなら、それ自体を目的とするものは明らかに最高度の価値を備えずにはいられないからだ。

(1.3) 生の成立を目的とする活動(これを生の条件と呼ぶことにする)は、それ自体ではない目的を有するがゆえに、生への意志そのものと比較して明らかに価値が低い。

(1.4) ところが、生の条件はまさにそれなしでは生への意志が達成されないようなものであるから、ここで見かけの価値の転倒が発生する。このことはこれらの概念の価値認識の転倒に他ならない。すなわち、生の条件が生への意志を圧倒し、生への条件こそが土台であり基礎なのだ、という誤謬を生み出す。

 (1.5) しかしこの矛盾に耐えられないものが破滅に至ることもまた明らかだろう。これが自殺の直接的原因の一つである。このような破滅は価値認識のねじれを解消することにより回避できる。

(また、より根本的に、自己を目的とする高貴さを原則として認めない場合、ニヒリズム的虚無に陥る。これはまた別の自殺の直接的原因となる。この場合あらゆる価値の転倒が起こり生への意志そのものが無価値となる。最高の直観と知恵を持つある著作家はこれに真っ向から勝負を挑み、結果狂気に身を落とした。)

 (1.6) 生への条件はこのようにして生への意志を成立させていると同時に不可避的にそれを蝕むものである。このことから我々は勤めてこれを最小限に押さえ込まなければならない。そうすることで我々は生に関するこの最初の問題に対処することができる。またこれによって生の次の段階の問題、すなわち退屈の問題が浮上してくる。この問題の論理的解決は別の機会に譲る。